東大和市について
【東大和市の歴史】
多摩湖の底の遺跡群の発掘査で、約2万年前の石器が発見されました。
そのころから狭山丘陵には人が住みついていたようです。
ただ縄文時代から弥生、古墳時代から奈良時代までの遺跡、発掘物は大変少なく、この時代はあまり人は住んでいなかったと想像されます。
平安時代になると多摩湖の周辺から、当時の住まいのあとなどが発見されています。
しかし鎌倉時代から江戸時代前までの資料史跡が乏しく、当時の暮らしぶりなど良くわかっていないのが現状です。
江戸時代になると青梅街道が整備され交通も盛んになり、御鷹場になるなど徳川幕府との関わりも見受けられます。
明治時代になり廃藩置県で最初、神奈川県多摩郡の一部となりました。
後に多摩郡が東西南北の4つに分割され、明治26(1893)年に東京府に編入されました。
【東大和市の名前】
大正8年11月に、芋窪、蔵敷、奈良橋、高木、狭山、清水の6っつの村が一緒になり「大和村」になりました。これはそれまで仲が良く無かった六ヶ村が「大いに和して一つになる」ということからつけられたそうです。
その後、1970年に市制を施行する時に、神奈川県の大和市と区別するため、東京の大和市という意味、あるいは大和市よりは東にあるなどという意味をこめて付けられました。
「〜より東にある」と同じような命名の仕方をしたものとして、
・福岡県久留米市と区別した「東久留米市(東京都)」
・愛媛県松山市と区別した 「東松山市(埼玉県)」
・広島県広島市と区別した「北広島市(北海道)」
などがあるそうです。
【海抜】
最高地点159.0m、最低地点82.5m
【面積】
東西5.3km、南北4.3km、面積は、13.54平方km
【市の花、木】
つつじ、けやき